人気漫才コンビ・宮川大助花子が4月18日「徹子の部屋」にゲスト出演します。宮川大助花子師匠といえば、おしどり夫婦として病気を乗り越えてきたことは有名なエピソードです。そして、宮川大助花子師匠といえば必ず話題となるのは、現在お住いの奈良県生駒の家、そして娘の仕事や結婚のはなし。宮川大助花子が乗り越えてきた病気や家そして娘のさゆみさんのしごとや結婚についてしらべました。
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宮川大助花子のプロフィール
「宮川大助・花子」の大助が手術を終え退院 復帰に向けリハビリへ
今月2日に腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきち….https://t.co/AYIRXYsXXn pic.twitter.com/Jk3qalUviL— 芸能ニュース速報 (@geino_new) 2017年4月2日
宮川大助師匠の本名は松下孝美(まつした・たかみ)鳥取県境市出身で1950年10月3日生まれ、そして、宮川花子師匠の本名は松下美智代(まつした・みちよ)大阪市出身で1955年8月26日生まれ。
宮川大助花子師匠の芸歴は1972年に大助師匠が、1974年に花子師匠がデビュー、大助師匠は三菱でサラリーマン体験後に松竹芸能で漫才をし、大助・花子を結成後に吉本興業に所属。
出会いから3ヶ月後に花子から声をかけて結婚に繋がったとされ、結婚後に「今度のコンテスト出て駄目だったら」と言うかたちで芸人生活を諦め一度足を洗い、夫婦で一緒に鳥取で2万円の文化住宅に住みガードマンの仕事をしたが、2人で鳥取に芸人を辞めて住んでいたが、大助師匠の強い希望で夫婦漫才師に。
結成当初は今と真逆で大助師匠がしゃべっていたが、夢路いとし・喜味こいし師匠が花子が喋ったほうがいいとアドバイスし、今の形に。
漫才の軌道に乗り分譲マンションに移り住んだが、阪神タイガースが優勝したことで、舞台衣装を虎柄に変えたことでブレイク。それを東京の生放送で行ったことで、萩本欽一の目に留まり「欽どこ」などの番組に出演し、現在の地位を築く。
東日本大震災発生以後、岩手県大船渡市を中心に被災地を頻繁に訪問、弟子らを連れて支援活動や公演などを行っているが、これをキッカケに、2013年6月、「おおふなと復興応援特別大使」に任命されています。
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宮川大助花子が手術で乗越えた浮気や離婚の危機
1988年頃から花子師匠が体調を崩し、活動を一時休業することもあり、後に胃癌であることが発覚しました。
その頃は実生活でも絶望した花子師匠が荒れるなどして夫婦関係の危機もあったが、病気とともに夫婦の危機も克服。
以後は漫才のスタイルも多少変化し、花子師匠が大助師匠を一方的になじるような形から、花子師匠が大助師匠の人柄を観客に自慢するようなオノロケも見られるようなスタイルに。
2007年2月には大助師匠が軽度の脳出血により入院、大助師匠の療養中は、花子師匠が1人で舞台に立っていた。大助師匠が倒れた当初、花子師匠は娘のさゆみに「棺桶をもう一つ用意して」と告げるなど、心中をも覚悟したされます。
2007年5月、大助師匠、無事舞台復帰を果たすも、復帰後も少し後遺症が残っているため、以前よりも舞台の回数を減らしている。
宮川大助花子師匠夫婦の趣味はマラソンで、大助が倒れるまではホノルルマラソンに毎回参加していたが、また震災をきっかけにマラソンチーム「吉本 ナショナルDreams」を結成しています。
宮川大助花子が手術や浮気離婚を乗越えた安住の自宅とは?
宮川大助花子師匠は病を乗越えた後、奈良県生駒の山奥に暮らし。大助さん自慢の自家菜園は引っ越し時から有る畑で、ニンジンやダイコンが取れる。笑いの話を聞きに来たのに、畑に関する話が続いて何をしに来たのかわからない状態になっている。
主婦業に専念したかった花子師匠にとっては漫才はストレスだったといい、1988年ころに一時活動を休止、に胃癌であることが発覚しました。
大助師匠は胃癌になったことで初めて花子のストレスに気づいたと言い、胃癌克服後も漫才を続け、花子師匠にいい環境で暮らして欲しいと思い現在の家になったと言います。
宮川大助花子の娘の仕事や結婚は?
宮川大助花子師匠と言えば娘「さゆみ」さんの結婚に関するエピソードが有名です。
2012年、お笑いコンビ「げんき~ず」の宇野けんたろうとのエピソードで、「げんき~ず」宇野けんたろうは出演するテレビ番組の中で「大御所芸人◯◯◯の娘と結婚しろといわれているんです」と語り、あまりの衝撃に、司会の劇団ひとりは「この話に関わりたくない!」と真顔で叫んだほどだったとか。
宇野は、ある時大物芸人の娘に一目惚れされた。そのことをきっかけに、「げんき~ず」の仕事は一気に増えたという。「その師匠の前説(収録本番前に行なう観客への説明)頼まれたんですよ。1回5分やっただけで、20万円もらいまして」と告白、前説のギャラの相場は1000円~5000円が普通だとされ、同席のお笑い芸人仲間からどよめきが。さらに宇野は、その大物芸人が海外旅行に行くたびお土産にルイ・ヴィトンをもらっていたことも告白したとされます。
話の核心はこれからで、「げんき~ず」宇野けんたろうは、ある日、その大物芸人の娘に呼び出され、愛の告白を受けたが、「僕、そういう目では見られないです」「絶対に無理です」と断ると、すぐに親である大物芸人から電話が。
「アンタ、大変なことしてくれたな。ケジメつけに行こか。ちょっとこいや!」こうして東京の高級ホテルに呼び出され「アンタなあ、うちの娘、傷つけたやろ。その代償デカいで」「とにかく、結婚したら5億円とレクサス買ってやる」と、迫られた、と言います。
吉本の芸人の間では、すでに宇野は“宮川ファミリー”と見なされていたとされ、宇野はホノルルマラソンで年代別6位に入ったこともあるランナー。それがマラソン大好きの大助・花子師匠にいたく気に入られ、宇野を中心に吉本芸人でマラソンチームを作った時も、大助師匠が監督、花子師匠が応援隊長を務めたほど。そしてマラソンには必ず娘さんも応援にかけつけ、そのうちに「げんき~ず」の宇野けんたろうのことを気に入ったらしいのです。
「げんき~ず」の宇野けんたろうも当初は仕事が増えてご機嫌だったが、次々に外堀が埋められ“このままじゃマジで結婚させられる”と焦り始めたようです。
2012年当時、宮川花子師匠が娘の結婚を真剣に望んいたのはどうも本当で、花子師匠自身、1988年には胃癌で摘出手術をやってるし、大助師匠も2007年に脳出血で倒れたことから「自分が元気なうちに娘の相手を」と思っのでは?と思われます。
さらに、娘の「さゆみ」さんは、かつて横山やすしさんの娘さんの次女「ひかり」さんと「さゆみ・ひかり」というお笑いコンビを組んでいたものが、相方の「ひかり」さんが先に結婚してコンビは事実上の休止状態。花子師匠は否定していますが「げんき~ず」の宇野けんたろうに迫ったのは親心?とみられても仕方がないところでね。
その娘の「さゆみ」さんのしごとに関しては、休眠中の「さゆみ・ひかり」に代わり、現在、宮川花子師匠、弟子の「たま子」と共に「宮川家の女達」というトリオで活動サれています。ネタは主にショートコントで、ネタの合間には「ババ、ママ、コドモ」というブリッジを交えている。ちなみに、ネタ作りには宮川大助師匠も関わっておられるそうです。
宮川大助花子が乗越えた病気や家そして娘の仕事のまとめ
人気漫才コンビ・宮川大助花子が4月18日「徹子の部屋」にゲスト出演します。宮川大助花子師匠といえば、おしどり夫婦として病気を乗り越えてきたことは有名なエピソードです。
1988年頃から花子師匠が体調を崩し、活動を一時休業することもあり、後に胃癌であることが発覚しました。その頃は実生活でも絶望した花子師匠が荒れるなどして夫婦関係の危機もあったが、病気とともに夫婦の危機も克服。しかしその後、2007年2月には大助師匠が軽度の脳出血により入院、2007年5月、大助師匠、無事舞台復帰を果たすも、復帰後も少し後遺症が残っているため、以前よりも舞台の回数を減らしているとか。
宮川大助花子師匠といえば必ず話題となるのは、現在お住いの奈良県生駒の家、大助師匠は胃癌になったことで初めて花子のストレスに気づいたと言い、胃癌克服後も漫才を続け、花子師匠にいい環境で暮らして欲しいと思い現在の家になったと言います。
そして娘の「さゆみ」さんの結婚問題と言えば、お笑いコンビ「げんき~ず」の宇野けんたろうとのエピソード。宮川花子師匠が5億円とレクサスを餌に結婚を迫ったとサれますが、2012年当時、宮川花子師匠が娘の結婚を真剣に望んいたのはどうも本当で、花子師匠自身、1988年には胃癌で摘出手術をやってるし、大助師匠も2007年に脳出血で倒れたことから「自分が元気なうちに娘の相手を」と思っのでは?と思われますが、これも娘を思う親心の現れなのでは?と思われます。
宮川大助・花子師匠には末永く元気で切れの良い夫婦漫才でファンを楽しませていただきたいものですね。
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